大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 平成4年(オ)658号 判決

上告人

金指チエ

右訴訟代理人弁護士

鈴木孝夫

被上告人

近藤幸長

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人鈴木孝夫の上告理由第一について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯することができる。そして、原審の確定した事実によれば、被上告人は、父である近藤銕五郎から遺言公正証書の正本の保管を託され、銕五郎の法定相続人(被上告人のほか、銕五郎の妻フジ、子松岡君代、上告人、谷田部孝子)の間で遺産分割協議が成立するまで上告人に対して遺言書の存在と内容を告げなかったが、フジは事前に相談を受けて銕五郎が公正証書によって遺言したことを知っており、フジの実家の当主である森由五郎及び近藤家の菩提寺の住職である小林慈征は証人として遺言書の作成に立ち会った上、森は遺言執行者の指定を受け、また、被上告人は、遺産分割協議の成立前に孝子に対し、右遺言公正証書の正本を示してその存在と内容を告げたというのである。右事実関係の下において、被上告人の行為は遺言書の発見を妨げるものということができず、民法八九一条五号の遺言書の隠匿に当たらないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

その余の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中島敏次郎 裁判官大西勝也 裁判官根岸重治 裁判官河合伸一)

上告代理人鈴木孝夫の上告理由

第一、原判決には、以下のとおり、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。

一、原判決は、民法第八九一条第五号に違背する。

(一) 民法第八九一条第五号は、相続欠格事由に該る場合として、「相続に関する被相続人の遺言書を偽造し、変造し、破棄し、又は隠匿した者」を掲げている。

(二) 第一審判決、「第三、争点に関する判断1、隠匿行為について」は、被告(本件被上告人)の行為を、「不作為の隠匿に該当する」と判断している。

(三) 右同「第三、争点に関する判断2、隠匿の故意」では、「隠匿の故意が存在したことを認めることは困難」であると断じている。

二、原判決は、更にすすんで、「隠匿に該当する事実があったものと認めることは困難である。」という。

三、不動産取得登記抹消登記手続請求控訴事件(東京高等裁判所昭和四一年(ネ)第二九六四号、昭和四五年三月一七日民事第二部判決、判例時報五九三号四三頁)の判決に対する判例評論(一四一号三九頁、判例時報五九三号四三頁)において、泉久雄教授は、「それによって客観的に遺言の内容と異なる遺産の帰属が、結果される蓋然性が大きい場合には、遺言に対する妨害行為として受遺能力が剥奪されなければならない。遺言法は、私的財産取得法であり、何よりも被相続人の最終意志=真意を実現することに努めなければならない。それなのに遺言書を故意に隠匿することは、正にその被相続人の真意の実現を拒み、財産取得秩序を破壊するものであるから、」「隠匿=妨害について故意があれば、必ずしも自己の相続上の利益増進についての認識ないし希望を必要としないと考える」と説かれる。

四、被上告人は遺言公正証書を、故意に隠匿したものである。

(一)① 原審は、「被上告人は、被相続人死亡の時より他の相続人に対し、遺産を分与する意思があったものである」から、公正証書遺言の隠匿に故意は認められないとの判断を示しているが、これは、乙第二号証(遺産分割協議覚書)添付の分割図(以下単に分割図という)の作成年月日が昭和五〇年八月二五日となっていることに依ったものである。

② 分割図の作成年月日は、昭和五〇年一〇月であり、同年八月二五日ではない。右図面は、甲第六七号証の一、二(地積測量図 以下測量図という)を模写して作成したものである。右測量図は、昭和五〇年九月作成となっているが、実際には同年一〇月の作成にかかるものである。いずれにしろ、これを模写したところの分割図の作成年月日が、昭和五〇年九月以前であることはあり得ない。

③ 測量図と分割図を比較すると、測量図においては、地番二三一番一七、同番一八、同番一九の各地積を求めるために、三斜求積のための垂直線イロ、ハニ、ホヘの各線が引かれている。数字は幾分不明瞭であるが、確かにこれらの垂線を避けて記入されている。しかるに、分割図のほうは、垂直線部分に数字の書込みがあり、垂直線の存在が不明となっている。他の地番にこのような記載のないことから、図面作成の際、調査士が初歩的なミスをおかしたとは考え難い。明らかに分割図は測量図の後に作成されたものであり、しかも作成年月日を偽っているものである。

④ 上告人は、原審において、再三にわたり右分割図、測量図の原本提出を求めてきたが、ついに果たせなかった。原本が存在しないか、分割図の作成年月日が昭和五〇年一〇月になっていることを物語るものである。

(二) 上告人、被上告人間に以下のような事情が存在した。

① 昭和五〇年一〇月初旬、被上告人は、上告人宅を訪れ、「申告期限が一一月だか相続税の申告をしたいけど、チーチャン(上告人の愛称)は気持ちがさっぱりしているから、遺産をくれとは言わないだろうね」といわれたのが、ことの発端であった。さらに、相続を放棄する印鑑を押すようにとの申入れを受けたが、上告人としては、あれだけの資産があるのだから、少しは相続人全員に分けるようにと希望し、簡単には判は押せないと、その場は断った。

② その後二、三日して亡母が被上告人の依頼を受けて上告人宅を再度訪問し、自分の金をおまえに遣るから判を押さないか、と説得に来た。上告人は母に対し、「お母さんのお金を戴くつもりはない。お母さんも相続人なのだから、わけて貰いなさい。」と伝えて、提案を拒否した。

(三) 被上告人は、遺言公正証書を保管していたのであるから、被相続人の死亡後は、速やかに相続人全員にこれを公開するのが当然である。また遺言執行者が訴外森由五郎であることも、被上告人本人なのであるから十分に承知していたはずである。

(四) 被上告人は、被相続人の存命中から、被相続人所有資産の全部を自己のものとする計画を有していた。被上告人は、地目が宅地となっている不動産については、可能な限り、贈与若しくは売買の形式で所有権を被上告人名義に変えたが、被上告人の職業(東急電鉄勤務)、資力を勘案すれば、売買代金の捻出、或は贈与税の負担は、とても本人の蓄えだけで賄えたとは考え難い。売買は仮装であり、贈与税の負担もまた被相続人において支払っていたことが予想される。聞くところによれば、贈与税の額は、凡そ一〇〇〇万円であったという。

(五) 地目が農地の不動産は、農地法の制限があるため、被相続人の存命中に被上告人に所有権を移転することは不可能であった。そこで、被上告人は亡父に強要して遺言公正証書を作成させたものであるが、その後被相続人は、遺言公正証書作成後に千葉県(甲第六号証乃至一七号証)、山梨県、那須高原、箱根などにも不動産を購入していた。

(六) 遺産の独り占めを企図する被上告人としては、亡父死亡後に遺言公正証書が公開されると、当然に遺言執行者である訴外森由五郎にこれを依頼することになるが、そうなると他の相続人から遺留分減殺の請求を受け、また遺言公正証書作成後に取得した資産についても、法定相続分を要求されると判断し、遂に遺言公正証書の隠匿を企てたものである。

(七) 被上告人が、他の相続人に遺産を分与するつもりであったのならば、何故に相続人全員を一堂に集め話し合いを一度も持たなかったのか。被上告人は、共同相続人である訴外松岡君代、同谷田部孝子、同上告人らに個別に会い、相続の放棄を強要したものである。

(八) 被上告人は、上告人の再三にわたる相続人全員に対する遺産の分与の要求に対し、最終的に訴外松岡君代、同谷田部孝子、上告人らに対し、それぞれ一〇〇坪宛の土地を分与することになったが、被上告人はこれを恨み、以後上告人が、母の死亡後実家に出入りすることを禁止する暴挙に出るに至った。

以上のとおり、被上告人は、他の相続人から遺留分減殺の請求を受け、また遺言公正証書作成後に被相続人が取得した土地について、法定相続分を主張されることを惧れて遺言書を隠匿したものであるから、その故意は明白である。

よって原審の判断は、民法第八九一条第五号の解釈を誤るものであると言わざるをえない。

第二ないし第四〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例